毎日放送の岡田公伸先輩を偲んで
令和2年4月9日新型コロナウィルスのために僕の大事な先輩である岡田公伸さん(毎日放送のアナウンサー室、制作局、東京制作局担当の取締役)が亡くなりました。僕と岡田さんは1ヶ月に一度の割合で鉄板焼き等を会食していました。やっと自粛解除が検討されるようになった今、僕は「そろそろ、岡田さんに連絡しよう。」と思いましたが、もう会えないのかと思うと無性に悲しくなりました。
岡田先輩は、大阪教育大学附属高校天王寺校舎で僕の1年先輩でした。クラブ(岡田さん:カヌー部、僕:柔道部)も住んでいる所(岡田さん:堺、僕:芦屋)も全然違うのに、学校の近くの「アリス」という喫茶店でタバコを吸いながらだべっていました。お互いちょっとイキがってサボるのがカッコ良いと思っているところがあり、気があったのかもしれません。その頃から岡田さんは本当に優しくと義理堅い人でした。昭和53年に普段から教師に反抗的であった僕はタバコと誤解から無期停学になりました。その時も岡田さんはとても心配してくださっていました。
その後、長らくお付き合いはなかったのですが、毎日放送と同じ系列のTBS系列の「名医のTHE太鼓判」という番組に出演した時にその番組を製作していたダイナマイトリボリューションカンパニーの斉藤さんが「岡田さんが懐かしがっておられました。」と声をかけてくれました。そして令和元年1月11日に岡田さんが「ひざが痛い」と言って、戸田クリニックを受診して下さってから親交を再開しました。
岡田さんは昔と変わらずちょっとヤンチャな性格で、綺麗事は一切言わず、本音を聞かせてくれました。正直言って、はじめはマスコミ関係の人と付き合いが広がるかなという下心がありましたが、お互い一切仕事仲間の紹介はしませんでした。二人だけで忌憚のない話をするのがとても楽しくなっていきました。岡田さんは牛肉がお好きで、何度も二人で鉄板焼きを食べに行きました。
岡田さんは僕に「テレビで医者がひな壇に並ぶ健康番組は少なくなっていくよ。だってコマーシャルを観て視聴者が物を買ってくれなければ番組は成立しないけれど、健康番組を観る年齢層の購買意欲は少ないからね。」と教えてくれました。そこで僕はテレビより一般の人向けの本を書くことに力を入れるようになりました。
岡田さんの話は僕にとってとても面白かったです。岡田さんの人生が羨ましかったです。早稲田大学を卒業して、テレビ局に入り、関西で人気がやっと人気がでかけていたダウンタウンと新しいスタイルの番組を作ってきた。そんな頃の体験談を聞いていると話に引き込まれていきました。オリジナリティーが大事と普段思いながらも僕は結局、世間体を気にしてオリジナリティーが一番嫌がられる保守的な医者の世界に入ってしまったのかもしれないと感じることがありました。
令和2年4月9日20時ごろ先ほどの斉藤さんから「岡田さんがコロナで亡くなりました。」と電話があり、大変衝撃を受けましたが、その時はさほど悲しみを感じませんでした。おそらく、人と会うことが制限されていたからだと思います。
でも、自粛が緩和されてきた今、無性に岡田さんに会いたくて仕方がありません。そんなわけで今頃になって岡田さんを偲ぶ文章を書かかせて頂きました。義理堅い岡田先輩に対して不義理を働き、申し訳ありませんでした。
岡田先輩のご冥福を心からお祈りします。
江坂の整形外科診療所 戸田整形外科リウマチ科クリニック院長 戸田佳孝
なお、写真は令和元年1月11日に岡田さんが当院受診時に撮影し、岡田さんに当院のホームページ掲載許可を得た物です
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