鎌倉時代には終末期医療の考えがあった
関根先生の解説では真言宗のお坊さんで医師の梶原性全(しょうぜん)が書いた本では、「延命よりも苦痛の除去、安楽死や尊厳死の重要性、わがままになる病人への対応、看護者と病人との信頼関係」などを死に逝く人を思う「救い」の姿が示されているそうです。つまり、日本では欧米でホスピスができるずーと前の鎌倉時代からすでにターミナル・ケアが発達していたのです。また、青木先生の解説では、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」には「療養」という言葉がでてくるそうです。なお療養の「療」は元々、やまいだれに楽と書いたが、楽は手鈴の形を表し、シャーマンがこれを振って病魔を払う呪術があったため、この字ができたそうです。
平田先生達の調査では由比ヶ浜に埋もれていた骨の両端にはイヌによる噛み痕がある遺体があるそうです。これらはおそらく鎌倉市街地で死後しばらく放置され、その間にイヌに咬まれたと考えられます。つまり、由比ヶ浜は戦争で死んだ人よりも疫病で死んだ人を埋める場所だったようです。これは伝染病予防の観点からも正しいと考えられます
固い者を食べていた鎌倉時代の人の顔はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主役北条義時の顔は小栗旬さんのような顔ではなかったようです。↓長岡先生達の調査では↓頭は長く、顔は小さく、顎はしゃくれていたようです
論文の解説:江坂の整形外科診療所 戸田リウマチ科クリニック院長 戸田佳孝
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